第三の男
一流の脚本家は
❝赤❞か❝白❞かという単純な二項対立を好まず
第三の要素である❝緑❞を
彩りとして用意する
グリーングラスとは、1973年生まれの競走馬。その名前と付けていたメンコから「緑の刺客」と呼ばれた名馬である。トウショウボーイ、テンポイントと共にTTG三強と並び称された。とにかく渋い馬であった。
通算成績26戦8勝[8-7-4-7]
主な勝ち鞍
1976年:菊花賞(八大競走)
1977年:アメリカジョッキークラブカップ、日本経済賞
1978年:天皇賞(春)(八大競走)
1979年:有馬記念(八大競走)
ライバルとの出会い
父*インターメゾ、母ダーリングヒメ、母父*ニンバスという血統。今の感覚では正直言ってなんじゃこりゃ?というほど古くて非メジャーな血統構成となるが、当時はまだ主流の血統の1つだった。しかも生まれは青森。この時点で既に渋いと感じるかたもいるだろうが、青森はメジャーの馬産地の1つだった。
そして雄大な馬格と調教の動きで評判になり、早くからかなり期待されていたらしい。ところが2歳の夏に肺炎を患うなど色々とトラブルが起きてデビューは3歳になってから。デビュー戦は2番人気に支持された。
ところがここには、後に生涯のライバルとなるトウショウボーイが出走してきていたのである。名門牧場の超良血というなんだよその花形満という感じのトウショウボーイは並外れたスピードでグリーングラスを置いてきぼりにする。グラスは4着だった。
これでけちがついてしまったグリーングラスは、光り輝くクラシックの表舞台から遠ざかってしまう。3戦目で何とか勝利したものの、ダービー挑戦への望みをかけたNHK杯では12着惨敗。鞍上も安田富男騎手に代わって渋さが増す。しかし、あじさい賞、鹿島灘特別と地味なところを勝利して、なんとか秋のクラシック最後の大舞台、菊花賞に出走することが出来た。
その菊花賞は皐月賞馬トウショウボーイ、ダービー馬クライムカイザー、関西の期待テンポイントが三強と呼ばれ、間違いなくこの3頭で決着すると思われていた。実況の杉本清アナウンサーも三強を交互に取り上げ、トウショウボーイ先頭で迎えた直線「テンポイントかトウショウボーイかクライムカイザーか!」と言った。しかしこの時には既に、直線の一番内を通ってグリーングラスが抜け出してきていたのである。明らかに脚色の違う伸びでテンポイントを一気に交わし、テンポイントびいきの杉本アナウンサーの叫びもむなしく、先頭でゴールを駆け抜けたのはグリーングラス。その瞬間、杉本アナウンサーは「グリーングラスです……内を通ってグリーングラスです……」と呆然としたように言った。
12番人気。単勝配当は現在でも菊花賞レコードの5250円である。裏街道を歩いてきた苦労人が、大舞台でスターを打ち負かしたという浪花節溢れる筋書きは、グリーングラスをよりいっそう渋い存在とした。
大タイトルへの厚き壁との戦い
年明けのアメリカジョッキークラブカップでは天皇賞馬アイフルを向こうに回して、3コーナー大捲りで直線粘りこむという強い競馬でレコード勝ち。いやいや、これは本当に強い馬だ、と競馬ファンは再認識。続く天皇賞ではテンポイントに続く2番人気に支持された。
ところがである。大型馬であったグリーングラスはこのあたりから脚元に不安が出始める。おまけに虫歯やなんやらで順調さを欠いたグリーングラスは、菊花賞と同じ作戦を取ったものの、テンポイントから離される4着に敗れてしまう。
念願のタイトルを獲得したテンポイント。そして世代の王者トウショウボーイ。そしてグリーングラスが二度目にぶつかり合ったのが次走、宝塚記念だった。人気も1・2・3番人気を独占。実はこのレース、既に天皇賞を獲っているアイフル、ダービー馬クライムカイザー、後に天皇賞を勝つことになるホクトボーイという物凄い豪華メンバーが集まっていたのである。しかしレースはトウショウボーイとテンポイントの独壇場。グリーングラスは3着を確保したものの、二頭からは大きく離された(しかしその後ろも大きく開いている)。
中山の2500mで行われた日本経済賞は流石にレベルが違ってレコード勝ち。秋の天皇賞は、既に天皇賞を勝ち抜けてしまった(当時は天皇賞を一度勝ってしまうと、二度と同レースに出られなかった。一度天皇陛下から盾を下賜された馬が同じ舞台で負けることは許されない、という背景があったとも言う)テンポイントがおらず、トウショウボーイとグリーングラスだけの一騎打ちと目されていた。ところが、レースではあまりに互いを意識し過ぎたのか、トウショウボーイと並んでガンガン飛ばしてしまい直線沈没。ホクトボーイの5着(トウショウボーイは7着)に敗れる。
続くは有馬記念。TTG最後の対決である。この伝説のレースはトウショウボーイとテンポイントのマッチレースとして今も語り継がれているが、先を行く二頭をぴったりマークし、直線で死闘を演ずるTTに向けて、一気に詰め寄ってきたのは誰であろうグリーングラスであった。その時大川慶次郎氏は「武士の情けだ(二頭で勝負をつけさせてくれ)グリーングラス!」と叫んだ。グリーングラスはトウショウボーイに半馬身まで迫る3着。大川慶次郎氏を安堵させた。
TTG最後の一頭の意地
トウショウボーイは引退。テンポイントは日経新春杯で故障。ただ1頭残ったグリーングラスがついに主役としてターフに君臨するかと思われた。しかし、このあたりから脚部不安が深刻化。満足が行く調教も出来ない状態となって、春二戦を2着3着。不調が伝えられる中、岡部幸雄騎手鞍上に天皇賞へ向かった。
しかしこのレースではまた内から抜け出すと、直線粘りこんで念願の天皇賞制覇を達成した。ちなみにこれが、岡部騎手にとって初めての天皇賞勝利である。岡部騎手は後に、「五体満足で出走できれば相手が誰であろうと勝てた」と言うほどグリーングラスを相当高く評価している。まぁ、当時は不遇だった岡部の境遇を鑑みると五体満足なグリーングラスに騎乗できたとは考えづらく、グリーングラスとのコンビでの天皇賞制覇の金看板がなければ岡部の名声を確立したシンボリルドルフの騎乗権を得られなかった可能性を鑑みると、身体面に不備を抱えていると言う地雷案件をグリーングラスが抱えていたことが皮肉にも岡部には幸いしたとも言えなくも無い。
この後、グリーングラスは故障が更に悪化。この年は2走しか出来なかった(それでも天皇賞馬対決だった宝塚記念でエリモジョージの2着を確保)。「一年の半分は温泉暮らし」と言われれば優雅にも聞こえるかもしれないが、実際は関係者の必死の努力が続いていたわけである。6歳になってもほとんどレースに出られない。それでも出たレースではアメリカジョッキークラブカップで2着、宝塚記念では3着、オープン戦を2着と好走している。
そしてこの年の有馬記念。グリーングラスはついにこのレースでの引退が決まった。このレースには前年のダービー馬サクラショウリ、同じく有馬記念馬カネミノブ、二冠牝馬インターグロリア、天皇賞馬カシュウチカラ・テンメイ・ホクトボーイ、皐月賞馬ビンゴガルー、菊花賞馬インターグシケン、天皇賞2着馬メジロファントム、菊花賞2着馬ハシクランツ、ダービー2着馬リンドプルバン、南関東競馬三冠ハツシバオー、西の元3歳王者で、重賞7勝を揚げたバンブトンコート等々、驚くほどの超豪華メンバーが揃っていた。
そんな中グリーングラスは2番人気に支持された。故障に苦しみ、勝ちから見放されていた彼をファンは見捨てていなかったのである。
そしてこのレース。グリーングラスは3コーナーで堂々先頭に立った。直線で追い込んでくる後輩の強豪馬の挑戦を受けて立つ構えである。しかし最後の最後で脚が止まってしまったグリーングラス。大斜行しながら猛然と追い込んでくるメジロファントム。実況の盛山アナウンサーが叫ぶ。「メジロファントムが追う! グリーングラスが我慢する!」
最後の最後にもう一粘りしたグリーングラスがメジロファントムを凌いで、トウショウボーイ、テンポイントに続いて有馬記念馬となった。そしてこの勝利が評価されたグリーングラスはこの年、ついにTT二頭に続いて年度代表馬となったのであった。
菊花賞、天皇賞、有馬記念に勝っているのだから歴史に残る名馬であることは間違い無い。故障に苦しみながら6歳まで走り、常に好走したことはもっと評価されるべきである。
しかしながら、スター性のあるTT二頭に比べて地味であったことは間違い無く、しかもこの二頭と揃ったレースで勝てたのは出し抜けをかました菊花賞だけ。宝塚記念、有馬記念は3着。それも越えられない壁を感じさせる3着であった。このため、なんとなくTTGではなくTT Gと書くのがしっくりくるような関係で、どうしても脇役であったと言わざるを得ない。
しかしながら、TTが引退、死亡した後にグリーングラスががんばって走り続け、後輩馬を負かしてタイトルを獲得したおかげで、相対的にTT二頭の評価が高くなっていった事は忘れてはならない。その存在感で主役をより輝かせる事が出来なければ名脇役の誉れを受けられないのである。その意味でグリーングラスは競馬史に残る名脇役であった。
引退後は種牡馬になり、あまり人気が無かった中でエリザベス女王杯馬リワードウイングや、自身と対照的にド派手なルックスで誘導馬も務めたトウショウファルコを出すなど健闘した。しかしながら、ここでもトウショウボーイの華々しい活躍に比べれば渋い活躍だったと言うべきであろう。
種牡馬引退後、一時行方が不明になるという事態になったものの、佐賀県のファンの方が自費で引き取り、穏やかな晩年を過ごしたようである。
2000年死亡。28歳。TT二頭よりはるかに長生きした。しかし死亡記事はTT二頭に比べて格段に地味だった。
散々脇役扱いしておいてなんだが、実はグリーングラス、八大競走3勝はTTGで最多。獲得賞金も3億2845万円で3頭の中で一番多いのである。さらに、勝負服を引き継いだ馬主[1]はグリーングラスに肖って冠名にグラスを採用するなど、高く評価していることがうかがえる。
虚弱体質に泣かされ勝率5割以下がマイナス材料となった一面を鑑みると、「トウショウボーイ、テンポイントと並んで彼も顕彰馬にすべき」とまでは言わないが、もう少し評価されても良いと思うのだがどうだろう。
血統表
*インターメゾ Intermezzo 1966 黒鹿毛 |
Hornbeam 1953 栗毛 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Thicket | Nasrullah | |||
Thorn Wood | ||||
Plaza 1958 鹿毛 |
Persian Gulf | Bahram | ||
グリーングラス 1973 黒鹿毛 |
Double Life | |||
Wild Success | Niccolo Dell'Arca | |||
Lavinia | ||||
*ニンバス 1946 黒鹿毛 |
Nearco | Pharos | ||
Nogara | ||||
Kong | Baytown | |||
ダーリングヒメ 1964 栗毛 FNo.14-f |
Clang | |||
ダーリングクイン 1958 栗毛 |
*ゲイタイム | Rockefella | ||
Daring Miss | ||||
ダーリング | *セフト | |||
第弐タイランツクヰーン | ||||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hyperion 3×5(15.63%)、Nearco 5×3(15.63%)、Nogara 5×4(9.38%)
- 父インターメゾは11戦3勝で1969年セントレジャーステークスの優勝馬。他にタカラテンリュウ(1983年毎日王冠など)、ミスタールマン(1985年目黒記念)などを送り出している。また母父としてもサクラスターオーやスーパークリークを出している。
- 母ダーリングヒメは44戦7勝で、七夕賞・福島大賞典の優勝馬。本馬の3歳下の半妹(父*バーバー)にハザマファースト(1979年クイーンS)がいる。
- 母父ニンバスは9戦6勝で1949年2000ギニーステークス・ダービーステークスの優勝馬。種牡馬としてはそれなりに成功したが弟のGrey Sovereignがそれ以上に大当たりだったため相対的に現代では影が薄い印象は否めない。
- 母母父ゲイタイム、母母母父のセフトはいずれも日本で成功した大種牡馬。後継種牡馬が成功しなかったために直系父系は早くに断絶したが、牝馬でも活躍馬を出したこともあり、古い牝系では今でも名を見ることができる。
主な産駒
- リワードウイング (1982年産 牝 母 フクインデアナ 母父 *インディアナ)
- トウショウファルコ (1986年産 牡 母 カメリアトウショウ 母父 *ハンザダンサー)
- トシグリーン (1987年産 牡 母 ファインフレーム 母父 *ロードリージ)
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 9
- 0pt