ガメラ 大怪獣空中決戦とは、1995年3月11日に公開されたガメラ映画である。
書くよ、概要はきっと書くよ!
ガメラ生誕30周年記念作品で、平成ガメラ第一作となる映画。
現代に蘇った超古代文明の遺した災いギャオスと最後の希望ガメラとの死闘を描く。
監督は当時青春映画やピンク映画で名を馳せていた金子修介で、彼の特撮第一作にあたる。
当初、製作元の大映は1966年に製作された大魔神3部作の復活を考えていたが、1984年にゴジラシリーズが復活し、その後のvs路線がヒットしたことで、より人気のあるガメラの復活を望む声がファンを中心に高まっていた。
しかしながら、当初予定していた20周年記念映画は『ゴジラ (1984年)』が思いの外ヒットしなかったことから時期尚早と判断され、より怪獣の定着したvsシリーズの大ヒットを受けて対抗馬としての企画にGOサインが出たという。
但し、実際にゴジラの対抗馬とできたのはこの作品だけで、この年にゴジラシリーズは『ゴジラvsデストロイア』でゴジラが死んで一旦完結する。
製作年はゴジラシリーズの絶頂期(直近作は『ゴジラvsスペースゴジラ』)で、スーパー戦隊シリーズや東映メタルヒーローシリーズが好調な時期も重なり、現在よりも特撮映画にとっての環境が比較的明るいものだった。
ガメラ復活の報が流れると、CS放送のチャンネルNECOで旧昭和ガメラシリーズが連日再放送される(中にはガメラスペシャルのような貴重なものも含まれた)など、宣伝面でも大きく話題になったが、金子監督に与えられた予算は僅か5億(後に6億に増額)と、平成ゴジラシリーズの半分ほどであり、ギャグ映画かコメディになること(元々の昭和ガメラはそんなもんだけど・・・)を覚悟したという。
ところが、特技監督にゴジラに関わった経験のある樋口真嗣を、脚本にうる星やつらや機動警察パトレイバーなどの押井守SFに関わった伊藤和典という強力なスタッフを獲得したことで、ゴジラシリーズでは不可能だった『ゼロから完全なガメラ映画のリブート』(ゴジラ映画の設定は必ず54年版をどこかに絡めなければならなかったため)を行おうということになり、実際に怪獣が出現した場合の人類を描くリアリティを追求した自由な作劇を行うことになった。
このほか、当時の特撮怪獣映画としては珍しく、J-ROCKバンド(爆風スランプ)が主題歌を手がけるということも少し話題になった。
こうして公開された本作はそのストーリーと丁寧な特撮ワークが絶大な支持を集め、キネマ旬報のベストテンにまで選出されるなどしたが、興業的には配給収入5億、観客動員90万人と平成ゴジラシリーズのそれに比較するとかなり低調に終わり、テレビ放映権とソフト売り上げで辛うじて黒字収支となった。
このため、次回作が作られるか、シリーズ化できるかは非常にシビアなところだったという(一応、この映画単体でストーリーが完結するようには出来ている)。
キャラクター付けと樋口特撮
改めてガメラの出自から設定を作り直す、となったものの、その苦労は並大抵ではなかったという。
まず、最初にガメラのキャラクター付けとして、子供の味方というイメージが強い上層部や旧来ファンを納得させ、かつ現代の海外SF映画で目の肥えた映画マニアを唸らせるにはそのガメラそのもののリアリティを如何に理由付けるかという点にも重きをおかれた。
会議中では「これまでと同じように子供をストーリーの根幹に据えるべき」「現代のガメラであればロボガメラもありなのではないか?」といったブレーンストーミングが繰り広げられ、有体に言えば「ガメラに思い入れのある世代」と「新世代ガメラを作りたい世代」のぶつかり合いとなり、時には大の大人が大声で大喧嘩になるほどの本気のものだったという。
結局は「ガメラはガメラである(?)」ということで落ち着き、今日知られる平成ガメラの「超古代文明の創り出した地球を超越した生体兵器」という新生ガメラが誕生した。
一方、敵怪獣を昭和ガメラで最も苦戦し、さらに人気の高かったギャオスとすることは比較的アッサリと決まったという(ギャオスの方が人気なのだろうか?)
こうして始まった撮影では、低予算下という状況を逆手に取り、人間パートで怪獣に巻き込まれる人々を描く方向に重点が置かれ、視点を人間の目からとすることでリアリティを高めている。
タイアップ元の日本テレビからも当時のニュース番組だった「ニュース プラス1」の放送セットをそのまま用いて怪獣出現のニュースを使うなど、実在の災害と同じように描いている。
特撮面では、随所に東宝特撮や円谷英二作品へのオマージュがあり、ギャオスに一般市民が喰われた後に花束が映るシーンなどは、元ネタを知っている人であればよりトラウマを増長させるだろう。
昭和ガメラで描かれたシーンのリメイク的な部分も散見され、ギャオスの超音波メスに緑色の血液を流すガメラのシーンやギャオス自身が脚を自ら切断してガメラをやり過ごす部分、ギャオスの断末魔のシーンなどがある。
また、当時まだ邦画ではあまり用いられなかったCGも効果的に使用され、ガメラやギャオスをミサイル攻撃するシーンや高速の空中バトル、そしてガメラの新必殺技プラズマ火球などに用いられている。
このあたりは当時オプチカルプリンターによるアナログの光学合成で光線技を多用したゴジラvsシリーズとは大きく異なる部分で、ギャオスの超音波メスやガメラのプラズマ火球などは全てCGによって作られている。
一方で、やはり予算不足だったためか、怪獣による都市破壊シーンは実は総時間で見るとあまり多くなく、多くは島や森といった簡素な部分が目立つほか、破壊部分も本当に限られた部分だけになっている。
ガメラの特徴である、回転ジェットも、実はこの作品だと1回しか使われていない。しかし、そのシーンは旧版の花火とピアノ線を使った安っぽいものではなく、当時としては非常に質の高いCGによって造られ、脚からプラズマジェットを噴射して飛び上がり、過去作とは比べ物にならない高速であの独特の音を響かせながら飛び去っていく部分で、とても迫力があり必見。
このほか、平成ゴジラではまだ破壊されていなかった箇所を襲撃ポイントにすることも考慮された。福岡ドームや東京タワーが怪獣によって無残に破壊されるシーンはこの映画でも特に有名なところ。
また、予算が限られていたことで先述の必殺技が使える機会も限られていたため、怪獣同士の立ち回りがバトルのメインとなり、当時光線技の撃ち合いになっていたゴジラシリーズとは一線を画した緊迫感のある戦闘シーンが出来上がることになった。
特にラストのガメラとギャオスの1対1の対決にはこのあたりがよく描かれているといえる。
ストーリー
1995年の日本、太平洋上に突如移動する巨大な環礁が現れた。
その環礁は黒潮に乗ってやがて日本に近づいていた。
環礁を調査に向かった海上保安庁の米林と保険会社の草薙はそこで古代の碑文と大量の勾玉を発見する。
そして、碑文が突如としてヒビ割れ、環礁全体が光り輝く。この環礁は生物だったのだ。
同じ頃、五島列島姫神島(架空の島)で謎の怪鳥によって島民が殺害されるという事件が発生。
鳥類学者の長峰は、そこで島民を食った巨大な鳥型生物を発見する。
この鳥は羽毛が生えておらず牙があり、さらに光を極端に嫌う夜行性というそれまでのどんな鳥にも見られない特徴を持っていた。
政府はこの鳥を日本だけに現れた学術的に貴重な生物だとして保護することを決定し、福岡ドームにて誘導作戦を実行。鳥は麻酔銃により昏睡し、成功したかに見えた。
しかし、福岡ドームにもう一頭のより巨大な怪獣が現れた。
その怪獣はドームから離れようとしない。怪獣は鳥を追って日本に現れたのだ。
頑丈な鉄格子に閉じ込められていた鳥は強力な光線で檻を切断すると彼方へ飛び去った。それを追った巨大怪獣も円盤のように回転飛行してそれを追い、消えていった。
最後の希望・ガメラ、時の揺りかごに託す。災いの影・ギャオスと共に目覚めん。
環礁の碑文に記されていた文字にはこうあった。
超古代文明が人為的にガメラを生み出したのではないかと推測され、同じようにギャオスが生み出されたのではないだろうか?
こうして、巨大怪獣は『ガメラ』、怪鳥は『ギャオス』と命名され、日本政府はより巨大なガメラの殲滅作戦に打って出る。
しかし、ギャオスには単体生殖の能力があり、そして人を襲うという凶暴性があった。このままでは、僅かな期間で爆発的にギャオスが増殖、世界中が危機に陥ってしまう可能性があった。
その頃、草薙の娘、浅黄は米林が持ち帰った勾玉でガメラと交信する能力を得てしまう。
富士山麓での自衛隊との攻防や木曽山中でのギャオスとの戦闘で浅黄自身の身体も同じように傷ついていく。
木曽山中での攻防を見た米林と長峰は、ガメラが人類の味方であることを確信する。
しかし、自衛隊やガメラによる妨害を逃れたギャオス最後の一頭が成体にまで巨大化。ガメラ同等の体格を得ると同時に目に遮光板が出来て昼間でも活動可能なように進化していた。
自衛隊のギャオス殲滅作戦はことごとく失敗。東京タワーを折られ、逆にそこに巣を作られてしまった。
もはや、碑文の通り、ガメラが最後の希望となってしまう。
ガメラが目覚めることに呼応した浅黄は再びガメラが現れることを告げる。
そして東京にてガメラとギャオスの最後の闘いが始まった。
果たしてガメラはこの災いを退けることができるのか? そして人類の運命や如何に!?
関連動画
関連項目
- 1
- 0pt