九州の戦国大名島津義久により考案、島津義弘、家久が実践されたと言われている戦法の一つ。釣り野伏せり・釣り野伏と呼ばれることもある。
概要
釣り野伏せとは、簡単に言うと大規模の敵を相手にする場合の戦術の一つで部隊を複数に割き、囮部隊である「釣り」と伏兵である「野伏せ」に分け、敗走を装った「釣り」を追撃してきた敵部隊を「野伏せ」で包囲殲滅する作戦である。
こう説明するとただの伏兵戦法のようであるが、実際に行うには『釣り部隊が敵を本気にさせるほど奮戦』し、更に『完全に負けたと思わせる敗走』をし、更に更に『追撃させるほど相手の判断力を落とす』といった要件を満たすことを前提とする非常に高度な戦術であり、実行するには指揮官の高い統率力・采配と実行部隊の高い錬度が求められる。
なお、上記2名のうち、島津のフィッシャーマンこと島津家久は、この戦法で大名級の首を3つ(龍造寺隆信・長宗我部信親・十河存保の3名)挙げており、起死回生とも言える大勝利をもたらした。
また、島津義弘の場合は更に凄まじく、1572年の伊東家との合戦(木崎原の戦い)では200vs3000の約15倍の戦力差をひっくり返し、朝鮮征伐時の泗川の戦いでは、7000vs200000という史上最大規模の釣り野伏せで勝利をもぎ取った。その時のあまりの強さに、敵(明・朝鮮連合軍)から鬼石曼子(おにしまづ)と呼ばれ恐れられた。
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